1983年のボウイファン

 大昔の手紙を読み返してみて思ったことは、絶対昔の方が私も友人も熱烈なデヴィッド・ボウイファンだったんだなあってことです。
特に1983年は、私が故郷を離れた年であり、ボウイの「シリアスムーンライトツアー日本公演」があったので、ボウイだらけの手紙が友人からも沢山届きました。
当時は、「アルバムを聴く。」が全てでした。
デヴィッド・ボウイはアルバム制作にはあまり間を置かず、毎回かなり刺激的な作品を発表したので、それだけでもネタは充分でした。
今とは比較にならない情報の少なさが幸いして、自分で「Ashes To Ashes」の歌詞のなかから「トム少佐」を発見したり、一枚のライブ写真を巡ってこれはなんの曲の時かを何年も思いあぐねるコトもできました。

 しかし。1983年10月26日大阪府立体育館でのボウイのコンサートは、不満の残るものでした。
その年は東京武道館でも2回見たので、ついつい比較して、「東京のほうが良かった」とノリの悪かったボウイの印象が強いままでした。
すると、友人の手紙で「24日六本木で遊んだらしい。とラジオで言ってた、疲れは普通翌々日にくるから26日は遊び疲れですよ!私はそうなると予感していた!」と怒りっぽい文面に、今になって「ああーそうかあ、友人も思っていたんだ。」と知りました。(読んだ筈なんだけど)
また別の友人のボウイ公演の感想を書いたとても素敵な手紙に、今更ながら追体験してしまったのに、彼女は多分もうファンではないようだし・・・

 23年も経ち、私はネットでボウイ関係のCDやDVDを買い(何故か今になって過去ライブのブートが多々発売。)、ボウイネットのおかげで今年は休止と言うボウイの近況もわかるのです。
先週はUK雑誌「Qマガジン」の表紙がボウイのもある(なにせ20周年記念号で20人のミュージシャン登場)*1とボウイネットで知り、発売を楽しみにしてましたが、予約の段階で完売。それでもネットのおかげで購入しました。
こんなに幸せなファンなのに、23年前の自分の方が、ボウイの活字見るだけでわくわくして暮らしていたのだわあと、ちょっとメランコリックです・・・