やっぱり少佐は「人間的魅力も並外れていた」

 今年に入って、量、質ともに重い本を読んでいます。
とくにこの本「ボリス・ヴィアン伝」に出会えたことはうれしい。

私が、少佐(マジョール)を特別こだわりだしたのは、早川書房ボリス・ヴィアン全集を集めはじめたことが、大きい。
一巻目の巻末にあった、伊東守男氏による「すりきれた人生;ボリス・ヴィアン評伝」が約50頁ながら力作でした。
これが1940年代の話とは思えない、新しい人たち「ザズー族」の夜ごとのびっくりパーティーや恋愛…が,
ボリス・ヴィアンならではのナンセンスな表現での展開に、こんな人がいたんだ!とはまりました。

 特に、「すりきれた人生」で知ったドラマチックな人生を生きたヴィアンに、大きな影響を及ぼした友人少佐(マジョール)の存在は強烈でした。
複数の作品の中で、登場する少佐は、実在の人物だった(本名はジャック・ルスタロ)というのにも驚きましたが、
当時20歳だったヴィアンより5歳若い15歳で、190センチ。
何より片目が義眼で、出し入れしては周囲を驚かす。
ヴィアンの恋人のミシェルの遠縁であることから、ボリス・ヴィアンと知り合ったようですが、彼もミシェルがすきでした。と、ヴィアンも認識し肯定しているかのような小説での、自由な関係。
少佐も高級官僚な父と捨てられた母の特異な家族構成で、早熟だった要素がたっぷりですが、
「彼は人生に絶望し、突飛なことをする少年だった。あたかも異常成長した子供のように、恐ろしく知的で、教養も、孤独の深さも、人間的な魅力も並外れていた。ジャックルスタロは、誰に対しても「インド帰りの少佐です」と自己紹介した。-中略-彼は信じがたい話を幾つも披露し、すでに多くの数奇な人生を生きてきたように見えた。」
マジョールは23歳の若さで、窓から転落死します。
窓からのアクロバット芸も得意だったそうで、自殺説もありましたが、失敗して転落だったと今度の評伝で確信しました。

ボリス・ヴィアン伝」は、去年が没後50年でタイムリーな日本での出版を翻訳された浜本正文氏は喜ばれていますが、読んでいて、伝記の作者も翻訳者も、ボリス・ヴィアンのファンというのが伝わる作品です。
他の伝記はどちらかというと、作品評だったから、マジョールのことが今ひとつわかりませんでしたけど、今度は、親の生い立ちから始まる正統伝記方式で、逆にかぶってなくて両方とも読み応えありです。
少佐は、小説を書いたわけでもなく、一生定職につきませんした。
でも、多分永遠に小説のなかで生きるでしょう。
実際に会った人が、伝記書いて残して欲しいです。
ただただお金持ちの若者の、かっこいい仲間の話かとも思ってましたが、当時のフランスは占領地下にあり、不甲斐無い大人に不信感を持ち、刹那的に楽しむ世代だったんですねー

 私は、若いときにボリス・ヴィアンには、心酔いたしました。
特に少佐が主人公の「ヴェルコカンとプランクトン」「アンダンの騒乱」が好きでした。
作者違うけど「時計仕掛けのオレンジ」とかもどきどきしながらかっこいいーと密かに思いました。
でも今同じ魅力を感じないのです。
それは、読んだ当時の私に、「ものすごーく真面目で規則正しい謙虚な人」になることを周りの大人は強要してて、
自分もまともな人間を自負し、アナーキーな生き方に心の中では、憧れていたからでした。
最近、私は「まとも」ってなんでしょうね?と思ったりします。
読んだ時の年令、作品の時代背景で、見方も大きく違うのかなあ。
こういう小説を読んでも、時代背景を知るとこれもアリな時代だし。とドキドキ感はありませんでした。
でも、少佐(マジョール)は今も特別です。
「人間的魅力も並外れていた」というのをもっと詳しく実感したかったです。
 

ボリス・ヴィアン伝

ボリス・ヴィアン伝