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泣かない

日々の泡

母が亡くなったとき、殆ど涙を流さない私が、親戚は意外だったそうだ。

泣く。ってどういう意味があるんだろう。

何一つ満足なお世話をしてあげられなかった母。

今もじゃあどうすればよかったのか、どうすれば泣いた自分がいたんだろうかと答えが出ない。

 

 むしろ、どんな時もCDその他諸々を買い続けてきたボウイのほうがずばっと終わった感が強い。

週末に新アルバムと日本での展覧会開催という朗報で、夢のような気分をファンにもたらし翌々日に亡くなったボウイ。

私はやっぱり泣かなかった。これからボウイの新曲以外のCDは聞きたくないほどダメージ大きいのに。

読むともっと辛いのにネットで世界中沢山の関係者のお悔やみの言葉を探した。

世界中のボウイファンは、きっと私と同じだね。

発売された追悼号に、感動したり、不満をもったりしながらもう沢山買ってしまう。

こんな特集、もうでないよねと悲しくなる。

 

それなのに、週末のNHK放送のドキュメンタリー番組でボロボロ泣いた。

「九年前の祈り」小野正嗣という小説家の里帰りの話だ。

静かな田舎の島で育ち、都会で学んだ少年。

少年には仲の良い兄がいて、最近脳腫瘍で亡くなってしまった。

島の人たちの兄の思い出に泣けた。何をしたわけじゃないのに兄の存在は大きかったんだな。

寂しいと

兄を語るうちにタオルで顔を埋めて泣き出すおじさんもいた。

私はその純粋さに泣けたのかなあ

赤の他人の死なのに、たぶん寂しいという気持ちは一緒だったんのかもしれない。