マイケル・ジャクソンの死

 特にファンというわけじゃないですが、普通の人よりは沢山「スリラー」の曲もビデオも沢山観ました。
何故ってデヴィッド・ボウイの「レッツ・ダンス」全盛の頃、もっと大全盛だったから。
ボウイを観たり聞いたりすると、絶対マイケルも観たり聞いたり…
MTVは、そのころ金曜の深夜放送じゃなかったかなあ?
「レッツ・ダンス」や「チャイナ・ガール」を見ようとすると、「ビート・イット」「スリラー」「ビリー・ジーン」を毎回見るのが当たり前なほど大ヒットでした。
当時のマイケルは、多分整形していたかもしれないけど、黒人のかわいい少年の面影があって、何より鉛筆みたいな細い足でくるくる踊るのが素晴らしかったです。
 それから1987年にマイケル・ジャクソンは来日しました。(ジャクソン5としては1973年にも来日)
来日ツアーも大成功でしたが、4ヶ所の会場だけなのに1ヶ月に渡る長い滞在のツアーで、「マダイル・ジャクソン」といわれてました。
その頃大阪のレンタルビデオショップで「残酷大陸」他ホラーもの3本借りたとか言われたり、「ムーン・ウォーカー」という冒険もの映画にショーン・レノン(ジョンの息子)、インディー・ジョーンズ2の映画に準主役だったアジアの少年と競演していてます。この映画もダンスが素晴らしく家のどこかにVHSがあるんだけど…
この頃から、少年、整形のキーワードが浮上してきます。
彼って、ピーター・パンが大好きで、永遠の少年でいたかったんですよね?
わかるけど、年を取ることで得られる楽しみも享受して欲しかった。
でも。無理やりでも自分の意思のまま生きたところが天才でもあるのですねー
痛ましいなあ。
ダンスはぴか一だったよおーー