春は落ちつかない
楽しかった平昌オリンピックも終わり、春一番も吹き荒れ
次にやってくるのは「春」しかない。
長い冬の中で、たった一人の兄が逝ってしまった。
ヘビースモーカーだった兄は多分長生きしないと思ってただろう。
でも肉親が誰もいないと思うとやっぱり寂しい。
職場で一番親しかった友人が転職してしまった。
3月の異動を思うと、私も仕事を辞めたくなる。
憂うつな気分を一掃したくCDを購入。
あがた森魚「近代ロック」
カーペンターズ「ベストアルバム」
YMO.「公的抑圧」
心地よい。特にカーペンターズのカレンの歌声が泣きそう。
カレンのちょっと低い声はとても魅力的!
世界中にファンがいた人なのに、自分自身は救えなかった。
辛い話。春はいいことありますように!
私が入院して手術した11月
本当に実感ありません。
10月に職場の健康診断の結果が出て、コレステロール以外オールAだったのです。
体を鍛えるとか、食事に注意する人じゃないけど漠然と健康だと思ってました。
近所の耳鼻咽喉科に行ったのも、鼻詰まるから洗浄してもらおうという気持ちでいきました。
先生は喘息の時お世話になったので、この際、大きな病院で診てもらった方がいいのでは?鼻は子供のころから鼻炎もちなのです。
先生は紹介状を書いて下さり、11月上旬に精密検査を受けました。
それからが、もう早い展開に驚きながら月日は飛ぶように過ぎました。
私は難病指定される、完治しないが、まじめに投薬すれば日常に支障ない病人とわかりました。
10日に手術となり、その前に保険とか難病申請とかで保健所、市役所、病院を夫と有給を取って歩き回りました。自分でも健康そのものだと思う行動力。
翌々日全身麻酔で5時間の手術を、無事受けました。
先生は「中程度」と言いました。
鼻って内視鏡での手術なので、いかに大変か私にはわからないのです。
痛かったけど、耐えられい程でもありません。
それより、再発率が高い、結構高額!一生のお付き合い。これがつらいです。
なんでこんな病気と、ご縁が出来たのかな
ほんと不思議です。
デヴィッド・ボウイとブルームズベリーグループ
デヴィッド・ボウイはロックミュージシャンとして人生を全うしたが、
アーティストとしても多方面で活動していた。
ボウイの大ファンの私は総合的に「アート」を彼流の審美眼で長年観てきたのを
添うようにチェックしていたが、これ!っといつまでも眺めていたい作品に御目にかかったことはなかった。
ボウイが亡くなって、先月オークションでは名うてのサザビーがボウイの美術コレクション400点を公開した。
ボウイサイドから彼のコレクションをオークションにかけることも発表された。
落札された方のもとに散逸してしまうことに未練があって、図録だけ取り寄せた。
するとこの肖像画を発見!
ブルームズベリーグループの一員だった「リットン・ストレイチー」
上がコレクション図録。、下は、夫人である画家ドーラ・キャリントンの画集。(ドーラ・キャリントンの絵が大好きです。映画化もされました。)
私は20世紀初めに英国で存在した文化グループ「ブルームズベリーグループ」がとても好きで、いろいろ調べたこともあるのですが、まさかボウイのコレクションの中に「リットン・ストレイチー」の素描画を発見するとは!
もう何年も前のコラムで、アートのオークションでブラアン・フェリーはブルームズ・ベリーグループの作品を、デヴィッド・ボウイはダミアン・ハーストの作品を購入したと読んだことがあり、妙に納得してしまったのでした。
ボウイが、この絵画にどの程度関心があったのかは知りませんが、
私のすきなものが、ボウイも嫌いではなかったことが非常にうれしかったです。
SF小説とデヴィッド・ボウイ
雑誌「SFマガジン」4月号がデヴィッド・ボウイ追悼特集と知ったときはとても驚いた。
期待よりむしろそんなに「ネタ」がないのねと思った。
376ページ中、約20ページが追悼特集かあ‥
それでも日本のSF界の重鎮でありながら、ロックも関心を持ち続けた著名人ばかりで購入した価値はあったと思う。
登場されるSF作家に不満はないが、1970年代からボウイの名前をちらちら登場させ、インタビューもしていたSF評論家の岡田英明がいないのは何故だろう。ファンでもなかったが、「ダイヤモンドの犬」の頃、SFとボウイを公に同文中に書いていたのは岡田英明だけだったと思う。(ロック評論は岡田英明、SF関係は鏡明名義)
今のSFマガジンは全く読んでないが、私は愛読者だったこともある。
好きな作家は「ゼナ・ヘンダーソン」「レイ・ブラッドベリ」「カート・ヴォネガット」
かつてのSFの黄金期はちょうどボウイがミュージシャンとしてデビューしたころだと思う。
「ブラッド・ベリ、自作を語る」でボウイのコンサートに娘さんと行き、ボウイに「抱きつかれ」二日に渡ってお食事したときのことが書かれている。
ボウイはきっとうれしかったに違いない。
評論やSF小説の話をしたそうだ。
また手元に雑誌がないが、ボウイがインタヴューでSF小説を書いて映画化の予定でいたが、既に同じ内容の作品が映画化されると知って辞めた。それは「カプリコン1」だったと思う。
あとサミエル・ディレニーのSFにはボウイの「世界観」と似てると聞いたのですが、未読。
SFマガジンでこのボウイ特集を立ち上げた方々なら、私よりもっとこのあたりのボウイとSFを掘り下げられたのでは?
せっかく追悼という気持ちがあるのに、少し残念。
ネタはけっこうあると思うのだが。
Fちゃんと会う
えーとこの間会ったのはいつだったかなあと検索したら、なんと2009年2月20日に「はてな」に書いてました。
7年ぶりとは!!
一駅しかちがわないのに。なかなか会う機会がなかったのですが、Fちゃんは必ず年賀状に手書きでメールアドレスを書き添えてくれるので、いつも気になってました。
7年‥
少年野球の世話役をしていて不満を話していたFちゃんは、6人のお孫さんに恵まれ、娘や息子の生活を案じるおばあちゃんになっていました。
外見はあんまりかわっていない若々しいFちゃんが、嫁の話をするのですがそんなに年月は過ぎ去ったのかあー
でも相変わらずピュアで優しい彼女。
私の別宅にご案内しても、すんなり肯定して高橋大輔(彼女もファン)のDVDを希望して二人で鑑賞しました。平日はお孫さんを預かっているいるそうですが、フィギュアスケートに今度誘ってね、一緒に行こうと約束しました。
お孫さんたちをを携帯で見せてもらいましたが、背後にFちゃんお手製のお雛様が飾られていて、以前は2対のお雛様が7段になっていました。
このお雛様が、授かり婚して大学やめたり、突然離婚を言い出されたりの日常に、「いやあ驚いたわ」というFちゃんの毎日を一緒に眺めていたにちがいないです。
泣かない
母が亡くなったとき、殆ど涙を流さない私が、親戚は意外だったそうだ。
泣く。ってどういう意味があるんだろう。
何一つ満足なお世話をしてあげられなかった母。
今もじゃあどうすればよかったのか、どうすれば泣いた自分がいたんだろうかと答えが出ない。
むしろ、どんな時もCDその他諸々を買い続けてきたボウイのほうがずばっと終わった感が強い。
週末に新アルバムと日本での展覧会開催という朗報で、夢のような気分をファンにもたらし翌々日に亡くなったボウイ。
私はやっぱり泣かなかった。これからボウイの新曲以外のCDは聞きたくないほどダメージ大きいのに。
読むともっと辛いのにネットで世界中沢山の関係者のお悔やみの言葉を探した。
世界中のボウイファンは、きっと私と同じだね。
発売された追悼号に、感動したり、不満をもったりしながらもう沢山買ってしまう。
こんな特集、もうでないよねと悲しくなる。
それなのに、週末のNHK放送のドキュメンタリー番組でボロボロ泣いた。
「九年前の祈り」小野正嗣という小説家の里帰りの話だ。
静かな田舎の島で育ち、都会で学んだ少年。
少年には仲の良い兄がいて、最近脳腫瘍で亡くなってしまった。
島の人たちの兄の思い出に泣けた。何をしたわけじゃないのに兄の存在は大きかったんだな。
寂しいと
兄を語るうちにタオルで顔を埋めて泣き出すおじさんもいた。
私はその純粋さに泣けたのかなあ
赤の他人の死なのに、たぶん寂しいという気持ちは一緒だったんのかもしれない。