シズヲさんを偲ぶ 

 今年の夏実家に帰省したときに、親類のシズヲさんはやってきて父の仏壇に合掌してくれた。

冬に屋根の雪かきをして、そこから記憶がなく、気がついたら家のソファーに座っていたそうだ。
それで本人も家族も頭蓋骨骨折の脳出血の大変な状態なのに気付くのが遅れたけれど、日頃どこそこが悪いときはこの病院と、調べてあったので。最善の治療が出来たそうだ。
「今日まで連絡出来なかった理由はそういうわけなんです。やっとでも目鼻がついたので。」と、大きなアルバムを取り出した。
シズヲさんは、父の家系のルーツを長年調べていたのだ。
父のルーツは新潟県で何故北海道に来たか、ややこしい旧漢字なので、何故そんな字を貫いたのかを調べたかったらしい。
アルバムはわざわざ某地方まで出かけ、遠縁の人たちに会い、関係ある(?)写真や
レシートまで張り付けられていた。
そして細かい家系図も!
シズヲさんは、朗々と独演して、新札幌まで自転車で帰っていった。

しかし・・・
シズヲさんは、長年実家の「嫌われキャラ」
母は「よそ者なのに、もう余計なコトして」といつも機嫌が悪くなる。
シズヲさんは、おじさんの娘さんのお婿さんで、直血縁じゃない。
おまけに娘さんも、訳あって養女なのだ。
でも、そんなのいいじゃない。血縁にこだわるなんて、うちは、天皇家じゃないよ〜
親戚に一人くらい「ルーツマニア」がいてくださるのはありがたいじゃない?
シズヲさんは、「7世代まえまでさかのぼると一億の人間が、関わって、○ちゃんが(私)生まれたと言うことになるんですよ」とか言うことを言った。
ロマンだ〜
と、私は感動さえして、その見づらい家系図をコピーさせてもらった。
シズヲさんは、多分嫌われているのを気付いていたと思う。
(だってあからさま!)
でも亡くなった父はとても博愛な人で、だれも行かないシズヲさんちもよく行っていたらしいのと、家系図的にみるとうちの甥のみが、近い将来「○○」という名字を継ぐことがわかったからだと思う。お盆には必ずお参りに来られた。

シズヲさんは、突然白血病になり水曜に亡くなってしまった。
木曜に母からTelで「私に会いたいっていってるそうなんだけど・・・」と気乗りしない口調だっので、そんなこといわんと〜と私が戒めた(!)
母がその日に病院に行くと、前夜亡くなっていたそうだ。
シズヲさんは、偉そうにしていたけど、寂しかったんだと思う。
「血縁」ってのに、ほんとは一番こだわっていたのはシズヲさんだった気がする。
合掌。